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女 と 権 威 中 山 千 夏 |
| いやはや、新・小泉内閣は、はっきりと証明してくれましたね。必ずしも、女は戦争放棄に与しない、と。 でも、だからといって、女性の政界進出は無益だ、いや百害あって一利なしだ、という展開には、してほしくないな。 言うまでもなく、議会に女がほとんどいないのは、(議会のみならず、社会で、ものごとを決めたり、陣頭指揮したりする部分に、ほとんど女がいないのは)、性差別の結果にほかならない。 そして性差別は、人種差別や障害者差別や部落差別と同じ、大いなる人権侵害である。 つまり、差別そのものが大きな社会悪なのだから、これを温存したままの社会を、よい社会とは言えない。差別はすみやかに解消されるべきであり、その方法として、差別を受けてきた人々を、無理にも社会の決定機関や指導層に増やしていくことは、とても有効だ。 ただし、女には、男が陥る悪徳のほとんどすべてに、陥る可能性がある。なぜならば、女は、男同様、人間であるからだ。 ご存じのとおり、女子刑務所は男子のそれに較べて、ごく少ない。それは別段、女という性が善良なわけではなくて、差別され、活動を制限されているために、悪事を働くチャンスが少ないだけのことである。女の社会進出が進めば、必ず女の犯罪も増える。犯罪内容にも男女差がなくなるはずだ。 そして、ある種の男たちが国家権力に近づきたがるのなら、女のなかにもそういう者がいて、当たり前。戦争できる国家を作りたい男たちがいるのなら、女にもそういう者がいて、当然。 だから、小泉政権に群がる女たちがマズイのは、女性であること、ではなくて、その考えや行動なのだ。女性であること、はなんの害にもならない。 それどころか、世の中を賑わせた組閣の記念写真については、腐っても女、と称賛したい気さえする。 某大臣が、あれほど徹底的に小泉新内閣の権威を失墜させることができたのは、紛れもなく、彼女が女だったからだ。だって、男にはあのドレスは着られないもの。 彼女だけではない。居並ぶほかの女性大臣にしても、権威の失墜に一役かっていた。そして私は、今度初めて気がついた。 なんと、女には、権力に加わるときの定番の衣装がない。 女の衣装はどれもこれも、ビジネス・スーツでさえもが、セックスを強調し、他人の目に媚びている。セックスも媚びも、権威とは正反対のものだ。だから、どう趣向を凝らそうが、女らしい衣装を着たとたんに、彼女からは権威が飛び去ってしまう。ついでに周囲の男たちの権威もひきつれて。 この社会で、女が置かれている状況を、彼女の衣装ほどはっきりと表したものも珍しい。最高の国家権力と、手作りのフランス人形みたいな垢抜けないブルーのロングドレスとの激しい対比が、事実を照らしだしたのだ。 男社会にあっては、女は、たとえ最高権力に連なろうとも、存在そのものが反権威、反権力なのである。権威や権力が好きな女にとっても、だから、男社会は、どこかしっくりこないはずだ。 いっそのこと、反権威、反権力の側に身をおけば、すっきりするのに、と私は思うけれども。 |
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